うっ、いつのまにか時が流れ4月になってるじゃーありませんか! 「るるる句会」に備えて「かな」の勉強を・・・今からします 下記 赤文字部分は本書からの引用 です。 ■書名:『角川俳句ライブラリー 新版 20週俳句入門』 ■著者名:藤田 湘子 ■出版社名:株式会社KADOKAWA ◆デリケートな「かな」 ・基本形 季語を下五に置く、二物衝撃。 例句 金色の仏ぞおわす 蕨かな 水原秋櫻子 オムレツが上手に焼けて 落葉かな 草間時彦 構成 [ 上五・中七 ] + [ 下五 ] 室内のもの・状態 + 室外の季語(名詞+かな) 十二音で述べたことから、カットが切り替わって季語へ。 なんとっ!「蕨かな」の句は二物だったのね!と衝撃を受けました。 「蕨の中に金色の仏がいるよ、仏を感じるよ」といった句だと思っていたんですよね そうか、視点が切り替わるのか・・・。 そういえば!! あの名句もそうなんですよね!!
詩歌紹介 読み方 とおやまに ひのあたりたる かれのかな 語意 枯野=冬枯れの野。 句意 日のかげった枯れ野を歩いていくと、行く手の遠くに見える山の頂に、ぽっかりと日が当たっているのが見えた。 出典 句集「五百句」 作者略伝 高浜 虚子 1874-1959 愛媛県松山市に生まれる。本名清。俳人・小説家・正岡子規の門下。子規の命名により虚子と号する。明治45年、俳句雑誌「ホトトギス」を主宰し、現代俳句を確立する。昭和29年文化勲章受章。 備考 明治33年11月25日、虚子庵例会での作。虚子26歳。虚子は自己の代表句として多くこれを揮毫(きごう)している。虚子の長男(年尾=としお)がこの句を「春もそこまで来ていて、季節の移り変わる様子が読み取れ、一種の人生観めいたものが想像される」と説明してきたと言うと、虚子は「そこ迄言うのは月並的だね。人生観と言う必要はない。目の前にある姿で作ったものが本当だ。松山の御宝町(みたからまち)のうちを出て、道後の方を眺めると、道後のうしろの温泉山にぽっかり冬の日が当たっているのが見えた。その日の当たっているところに何か頼りになるものがあった。それがあの句だ」と言ったという。
1】 『 手毬唄 かなしきことを うつくしく 』 季語:手毬唄 新年 現代語訳:子どもたちが遊びながら無邪気に歌う手毬唄は、よく聞くと悲しい内容のことを美しく歌っていることだなあ。 俳句仙人 手毬をつく遊びは、凧揚げや羽根つきと同様、正月の遊びとされます。この句は、第二次世界大戦がはじまった年、昭和 14 年 (1939 年) の作です。手毬唄は、世相を反映したものもあり、昭和中期まではやった手毬唄には、戦争を歌ったものや、現代では差別用語となるような敵国を揶揄する蔑称の含まれているものもありました。手毬歌とは、単純なこどもの歌ではなかったのです。 【NO. 2】 『 何もなき 床に置きけり 福寿草 』 季語:福寿草 新年 現代語訳:正月らしいしつらえは何もない床の間に、福寿草の花を置いたことだ。 福寿草は、黄金色の美しい花と、その名前から縁起の良い花として鑑賞され、元日に咲くよう栽培されました。新年の風物ですが、この句では、福寿草しかないつつましい年明けを詠っています。 【NO. 3】 『 春風や 闘志いだきて 丘に立つ 』 季語:春風 春 現代語訳:春風が吹いていることだ。私は、心に闘志をもち、丘の上で春風に吹かれながらじっと立っている。 この句は、大正 2 年 (1913 年) 、高浜虚子が一時遠ざかっていた俳壇に復帰した時の句です。明治 35 年 (1902 年) 、師の正岡子規を亡くしてから、高浜虚子は句作をやめ、小説を書いていました。しかし、子規門の双璧として高浜虚子と並び称された河東碧梧桐が、新傾向の俳句を唱えるようになったことに反発、俳壇に復帰することを決意します。日本の俳壇を守ろうとする、作者の決意表明の句なのです。 【NO.
明治の名言だけをピックアップ! 「遠山に 日の当たりたる 枯野かな」 高浜虚子 山本健吉をして「この句に至って、虚子ははじめてその本領を発揮した」と言わしめた句。高浜虚子自身も「自句自解」において「静寂枯淡の心境を詠ったものである」と述べている。 名言を共有しよう! 発言者 高浜虚子について 高浜虚子のプロフィールを紹介します。 本名は高濱清(たかはまきよし)。虚子は師である正岡子規より授かる。俳人・小説家として、明治から昭和にかけて、特に俳壇で大きな足跡を残す。 高浜虚子の他の名言 高浜虚子の考えや人柄がわかる、その他の残された言葉。
もし遠山にだけ当たっていて枯野は日陰なら、時刻は早朝もしくは夕方とみてよさそうです。逆に遠山、枯野両方とも日が当たっているとしたら、時刻は冬日が最も高い空にある昼前後と判断してよいと思われます。さてどっちだったのでしょう?
高浜虚子の句です。 この三日間、俳句を書いています。 年頭に、俳句を作ってみようと思い立ってから、 俳句の本を読んでいますが、自分で作るより、 やはり、書いてみたくなるのです。 自作の俳句を書くのは、遠い先になりそうですが、 それまで、気に入った句が時々登場するでしょう。 使い古しの筆で 32×43センチ このブログの人気記事 最新の画像 [ もっと見る ] 「 書 」カテゴリの最新記事
『 遠山に 日の当たりたる 枯野かな 』 作者:高浜虚子 大雪山系旭岳や中山峠、さらには札幌市の手稲山などに" 雪のたより "が届きました。 最低気温が氷点下となる地域も出はじめ、いよいよ北海道には冬の気配が近づいています。 本日(2020年10月16日)の通勤時、レンタカーのフィットの外気温計は「7℃」。 さすがに朝晩はジャンパーやコートを着ないと、空気の冷たさが身にしみます。 北海道の秋はとにかく短い。夏も短いが、それ以上に秋は短い。 夏が終わり秋らしくなってきたと思ったら、雪のたよりが届いてすぐに冬。 一瞬だからこそ「 秋らしい景色 」、「 北海道ならではの秋の味覚 」を楽しまないと。