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シラノ ド ベルジュ ラック 名言

2015年 7月 11日 カルチャー 合澤清 書評: 『シラノ・ド・ベルジュラック』エドモン・ロスタン作 辰野隆・鈴木信太郎訳( 岩波文庫) 「…消えろ、消えろ、はかない灯の光!人生は歩く影法師、あわれな役者だ。束の間の舞台の上で、身振りよろしく動き回ってはみるものの、出場が終われば、跡形もない。白痴の語るお話だ。何やらわめきたててはいるものの、何の意味もありはしない。」(シェイクスピア『マクベス』小津次郎訳) エドモン・ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』を論ずるのに、いきなりマクベスのこの名高いセリフから始めたのは、少なくとも私の感覚に、シラノの生涯ほどこの「マクベス」の最後の喘ぎ、悲しみに通じているものは無いとの思いがあるからである。 もちろん、両者の舞台は全く異なってはいる。マクベスは徒(あだ)に栄達を囁かれてその人生を破滅させた。片やシラノは、純情一筋、かなわぬ恋にその人生をかけ続けて生涯を終える。両者に共通な相貌は、運命のいたずら、皮肉な運命に翻弄される人生のはかなさ、…。この点に多くの読者の共感や同情が集まっていることは間違いなさそうだ。 マクベスの運命を狂わせたのは、いたずら好きな魔女の悪辣な囁き、預言…?それとも、彼や彼の夫人の心にひそむ栄達を望み夢見る戦国武将の野心…?いやいや、マクベスに魔女を引き合わせたことが「運命のいたずら」か?

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242) 瀕死のシラノが覚えず口ずさむ、あの甘美な夜の思い出、あの時の甘いやり取り、これがロクサアヌに真相を知らせる。だが、時すでに遅く、またシラノ自身も決して自分の精神とクリスチャンの肉体の一体化を再び分離することを望まない。再び影に戻り、そして本体の死と共に死ぬ。 シラノ:それで宜い、俺の生涯は人に糧を与えて―自らは忘れられる生涯なのだ!(ロクサアヌに)ねえ、クリスチャンが露台の下であなたに話をしたあの晩のことを覚えているでしょう?たしかに!私の生涯がそれなのです。私が下にかくれて暗闇の中に佇んでいると、他の奴等が昇って行って光栄の接吻をかち得たのです!が、それも正しい裁判だ、私は墓の入り口に立って敢えて承認する、『モリエールは天才にしてクリスチャンは美男なりき』と!(p. 274) シラノ:いや、一体全体どう魔がさして、一体全体、どう魔がさして、そんな船に乗り 込んだのだ?… 哲学者たり、理学者たり、 詩人、剣客、音楽家、 将た天界の旅行者たり、 打てば響く毒舌の名人、 さてはまた私の心なき―恋愛の殉教者!― エルキュウル・サヴィニヤン・ド・シラノ・ド・ベルジュラック 此処にねむる 彼は全なりき、而して亦空なりき。 …だが、もう逝こう、では失礼、そう待たしておけない、 御覧なさい、月の光が迎えに来ましたからなあ! (彼はがっくり腰を落とす、が、ロクサアヌの泣く声で再び我に返り、彼女を眺める、そして彼女のヴェールをなぜながら) 私はあなたに望む、あの愛らしい善良な美男のクリスチャンのために深く深く歎き悲しんでください。而し唯、黒いヴェールに両の喪の心をこめて頂きたい。そしてクリスチャンを悼み、傍らこの私をもほんの少しばかり悼んでいただきたい。(pp. 276-277) シラノは運命に翻弄されたのであろうか?いや、彼は見事に彼の運命を生き抜いたのではないだろうか。何故なら、運命とは「具体的普遍」であるからであり、様々な葛藤の中にこそ彼の存在(定在)があるからである。「見事に」という意味は、彼がこのことを十分意識していたからだ。だからこそ「彼は全なりき、而して亦空」なのである。 〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 〔culture0135:150711〕 「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。

ル・ブレ:この上もない美しい女だって?… シラノ:一口で言やあ、この世の中でなあ!類なくはなやかなまたなくあでやかな、(切なそうに)金髪の無上に美しい女性だ!

いや、真っ平だ!真っ平だ!真っ平だぁ! 俺やな、歌って、夢見て、笑って、死に、独立独行して不羈、炯炯たる眼光朗々たる音吐、お望みとあらば斜めに頂く鍔広の毛帽子、一言の諾否にも命を懸けての果合―しかも暇がありゃ作詩三昧よ!栄誉も栄華もへちまの皮、月の世界は旅枕を、夢寝にも忘れぬますらを夫だあ! 独創にあらずんば筆を執らず、しかも傲らずして我と我が心に言ふのだ『いとしきわれよ、花も実も、名もなき草木のあだ葉さへ、異人ならぬ汝が園に、汝が手に摘まば楽しからまし』とね!さればこそ、風の吹き廻しで、少しは威勢の上がった時でも、セザアル様にお返し申すような借りは何にもない。腕一本に値打ちがあるんだ。 つまるところは、他人をたよりの蔦となるなあ真っ平御免、樫や菩提樹にはなれず、高い位には上がるまいが、やせてもかれても、独り立ちだあ!(pp. 114-115) シラノの愛の告白 このような硬派で剛毅なシラノが、親衛隊の同僚で美男の誉れ高いクリスチャンの恋の告白の代理を買って出る。クリスチャンは美男ではあるが、まるでその種の才能がない。ただ、彼自身も純粋で一本気な人柄である。そして、そのクリスチャンが恋する相手こそ、実はシラノが死ぬほど恋焦がれている当の女人なのである。シラノは最初は恐る恐るクリスチャンの代理を務めているが、だんだん本気になり、自身の胸の内をさらけ出す。いつの間にか影の男(黒子)が、本体の男(主役)と入れ替わる。いやむしろ、今やシラノはクリスチャンであり、クリスチャンはシラノである。ロクサアヌを媒介として両者は完全に一体化している。 今の社会の中でだんだん疎遠になっているこの純粋さを、恋の中でも、また自身の実生活、人生の中ででも取り戻したいものと強く思う。ここでも長い引用が続く。 シラノ:(興奮して身を進め)さうです、声まで別です。それも夜の暗さに守られればこそ、誰憚らぬ性根も出せるのです、誰憚らぬ…(絶句する。そして気も乱れたごとく) 何を言ってたのだろう?まるっ切り…わからない、―どうか私の感激を許して頂きたい―何と云ふ楽しさでしょう…私にとっては何たる新しさでしょう! ロクサアヌ:新しさでございますって? シラノ:(愕然としたが、なお絶えず旨い言葉を探し当てようとして)無上の新しさ…ですとも…真実を籠めるのは、他人から嗤はれるが辛さに、この胸を痛めたのも幾度か… ロクサアヌ:なんでお嗤はれになるのでございますの?

文学渉猟:シラノ・ド・ベルジュラックの悲劇-「人生は歩く影法師、あわれな役者だ」 | ちきゅう座